ちらしのうらのせかい

特撮のことから日常のあれこれまで、気ままに綴っていきます

仮面ライダーギーツ第37話「慕情Ⅴ:純白の破壊」感想

前回分はこちら。

chirashinoura-world.hatenablog.com

 


願いのおかわり

 ベロバとケケラがヴィジョンドライバーを返したのは、スエルの怒りに触れてゲートを閉じられてグランドエンドで消滅したくないからという理由でしたが、まるで制限時間間際のバイキングかのように創世の女神に追加のお願いをしてるのはスエルの怒りを買わないんだろうか。というか、そうポンポン願いを叶えられるだけのエネルギー(幸せ)はどこから集まってるの?願いを叶えるために犠牲者の幸せが必要だという割に、ポンポン願いを叶えるもんだから実に都合のいいふわふわした設定だなあと感じてしまう。

 

IDコア集めの行方

 トップ同点が2名のためにプレイヤー同士の争奪戦という形でサドンデスに移行。結局時間切れで景和が生き残って沙羅の分のIDコアを引き継いだことでトップ同点2名という構図は変わらず。なんかまたこれもうやむやになりそうですね。
仮にまたサドンデス続行で決着つけるとしても、景和がIDコアの所持数で勝つには英寿が持ってる分のIDコアを手に入れるしか道はない。英寿は運営と戦っててそれどころじゃないし、何かあるとすれば前述のベロバとケケラが追加で叶えた願いの影響で状況が変わるくらいか。
ともあれ、キツネ狩りにしてもデザスターにしてもこれにしても、これ最後どうなるんだろうっていう展開に限って最後までけりつけずにうやむやにする流れ繰り返すの本当やめてほしい。

一方今回のサドンデスを経て、祢音も沙羅もIDコアを砕かれたことでもう二度と仮面ライダーには変身できなくなった訳ですが、もはやこのルールすらなかったことにされるんじゃないかと思っていたり。沙羅はともかく祢音が今後一切変身しないというのは考えにくいし。
ギーツのことだからまたちゃぶ台返ししてルールごと塗り替えるんだろうなあと思うとなんか悲しくなる。


女神を敵視し続ける景和

 今回一番引っ掛かったのは、景和の態度について。景和の願いが退場者や犠牲者を救うことだということ自体は理解できるんです。
しかし、
(1)創世の女神に対する異様な敵対心
(2)景和の願いを叶えても他の犠牲者が出ることから目を背けていること
の2点についてはどうも理解できなくて。
まず(1)について、景和は創世の女神に対してまるで彼女が悪逆無道の限りをつくしたような口振りで話してますが、景和視点でそう断定できる根拠ってどこにあるんですかね?これが「創世の女神も運営もどっちも悪い!」みたいな感じだったら多少分からなくもないんですけど、運営に対しては何も言及せず創世の女神だけを目の敵にしているのはあまりに視野が狭すぎではと思ってしまう。
(2)についても、今回の道長との会話で「そんなことをしても他の犠牲者が出るだけ」とか「理想を願えば別の不幸を生むだけ」と言われているのに、それに対するアンサーがなく「幸せを願って何が悪い」と開き直っている。
その上ウィンから英寿誕生の経緯を聞いたときに「女神の力を利用してシステムを作り上げたのはデザグラの運営だ。女神に罪はない」と言われても景和の態度は変わらない。
なんか景和はどんどんおつむ足りないキャラになっていってて目も当てられないです。デザスター編で祢音が騙そうとしたときは割と頭切れてたのに…今の景和を見てるとまるで去年の大二を見ているようでなんとも言えない気持ちになる。制作陣は景和をどういうキャラにしたいのか…

 

さいごに

 ブーストマークⅢバックルが「そのとき不思議なことが起こった」で無から生まれたのはなあ…
そもそもなんで唐突に生まれたのかも気になるところですが、せめて崩壊した創世の女神の破片から生まれるとかもう少しやりようはあっただろうと思うんですよね。