ちらしのうらのせかい

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仮面ライダーギーツ第31話「慟哭Ⅶ:天国と地獄ゲーム♡」感想

前回分はこちら。

chirashinoura-world.hatenablog.com

 

天国と地獄ゲーム

 デザイアグランプリの実態を再現し、英寿たちデザイアグランプリのプレイヤーを皮肉っているかのようなこのゲーム。
ベロバはニラムも含め仮面ライダーもゲームの参加者と言っていましたが、ニラムのいるデザイア神殿に穴が出現してないんだから、何もせずともニラムの勝ちになるじゃないかと思ってしまいました。
ニラムを参加者に指名するなら、地上に出てくるよう仕向けるなりデザイア神殿もゲームの舞台として巻き込むなりしないと意味ないでしょうよ。


デザイアグランプリの真実

 デザイアグランプリの犠牲者の幸せは創世の女神の元に集められ、最後の一人の勝者の大きな幸せに変えられる。と言っていました。
ここで引っ掛かった点があります。
それは、祢音パパの願いを叶えた件について。あれはデザイアグランプリに優勝して叶えたものではなく、スポンサー特権で叶えてもらったもの。
願いを叶えるために犠牲者の幸せが必要だというのであれば、祢音パパの願いを叶えたときに消費した幸せはどこから得ているのかが分からないんですよね。
今回の景和とケケラの会話で言っていた「世界が作り替えられても戻ってこなかった一部の人間は、世界を作り替える力に変えられたから」という言葉。
この言葉を文字通り捉えるなら、非プレイヤーの一般人を復活させることができないケースが発生するほどに、世界を作り替えるために必要な幸せという名のエネルギーが莫大だということになる。
そう考えると、いくらスポンサー特権とはいえデザ神以外の人間の願いを叶える余裕なんてないと思うんですよね。
めちゃくちゃ好意的に解釈するならば、宝くじのキャリーオーバーみたくライダーが全滅した時にその回のデザイアグランプリで集められた犠牲者の幸せがプールされていて、たまたま祢音パパの願いを叶えるだけの余力があったと考えることはできなくないですが、その描写はちゃんとしておかないと矛盾してると捉えられても致し方ないと思います。

 

適当なパワーバランス

 相変わらずレーザーブーストがあるのになぜかデメリット持ちのブーストマークⅡを使うのはよく分からないままなんですけど、それ以上に今回はバッファがブーストマークⅡと互角に戦えてるのに違和感を覚えました。
例えば鎧武に出てくる貴虎みたいに変身者自身のスペックが変身後のスペックを引っくり返すほど高いとか、ジャマトバックルに戦えば戦うほどスペックアップする能力がついているとかいう訳でもないし、尤もらしい理由がないんですよね。
今回の描写だとブーストマークⅡが露骨に弱体化されたかのような印象すら受ける。

 

英寿に対する景和の態度

 創世の女神の正体がミツメ(英寿の最初の母親)であることが発覚したことで、英寿が景和に胸ぐら掴まれて責められてましたけどあれは筋違いでしょ…創世の女神が原因というよりデザイアグランプリを開催している運営側の問題なのでは?と思いますし。
仮にあれは衝動的で、本意ではない行動をとってしまったのだとしても、
以前デザイアグランプリがリアリティーショーであることが発覚したときに、今回の英寿にしたような態度を運営に対してしなかったことを考えるとやはり違和感が拭えない。

 

さいごに

 割とさらっと景和が退場しましたが、あれはデザイアグランプリ的な意味合いでいう退場なのか脱落なのかは気になるところ。ジャマトグランプリ終わったらなんやかんやあっさり戻ってきそうな感じするけど。
一応次回でジャマトグランプリは終わりますが、あまり話が一段落しそうな雰囲気がしません。ベロバが言う参加者の定義に則るなら少なくともギーツ、バッファ、ゲイザーのうち2人は消えないとこのゲームは終わらないと思いますが果たして…