ちらしのうらのせかい

特撮のことから日常のあれこれまで、気ままに綴っていきます

仮面ライダーギーツ第44話「創世Ⅵ:ネオン、かがやく」感想

前回分はこちら。

chirashinoura-world.hatenablog.com

 

 

世界を戻す必要性

 今回の英寿と道長の会話で、タイクーンが今の世界にしなければ沙羅さんを救う方法があるから元の世界に戻そうみたいなことを言ってましたが、そんな回りくどいことしなくても沙羅たち犠牲者を復活させる(ただし犯罪者は除く)という願いを直接願えば良いのでは?というか英寿は創世の力でどこまでのことができるのかが未だによく分からない。話の都合でどうとでもできるようにするために決めてないだけだろうけど。

 

道長と景和の言動

 以前から言ってることではありますが、なんで道長がギーツを味方面しているのかも分からないし、景和がジットたち運営サイドの言うことを鵜呑みにする理由も分からない。

道長についてはジャマトグランプリでベロバたちとともに人殺しに加担していた(天国と地獄ゲーム)+ジャマ神として願いを叶えたのに、慕情編では急にデザグラ不要派になって次々ライダーを脱落させていき、創世編ではさも味方かのような顔で戦って今回「俺はギーツを信じる!」とまで言うように。あんなに目の敵にしていたギーツを信じると言うからにはよっぽどの説得力がある心情変化が必要ですが、そんな描写があったようには見受けられない。

景和もずっと創世の女神に償わせることに固執し、運営サイドの言うことばかり耳を貸して、英寿サイドの言うことには耳を貸さない状態が続いていますが、それに納得できる理由づけがない。沙羅を失って正気じゃなくなってるだけだといっても、ツムリを女神化させる幇助をしたのは完全に度が過ぎてるし。

今回もこの期に及んで「俺自身の世界が平和じゃなきゃ、意味がないんだよ」とか言ってたし、結局ただの一般人だったときの景和から精神的に全然成長してないんだなって思ってしまうんですよね。

 

本当の愛と祢音の再変身

 デザグラにおける祢音の最初の願いは「本当の愛がほしい」というものでした。これは母親である伊瑠美の抑圧による生活の自由のなさから生まれたもの。

祢音が創世の女神によって創られた存在であることが発覚し、伊瑠美がその事実を知って第40話で祢音に謝罪したときは、祢音に受け入れてもらえませんでした。それが今回の病室での鞍馬親子の会話で和解に至った訳ですが、ちょっと気になる点があって。

それは、光聖の「お前(祢音)と過ごした年月も幸せであるべきだったんだ」という台詞について。「あるべき」という言い方をするということは実際はそうじゃなかったと言っているに等しいんですけど、それは祢音にかける言葉として必要だったのか?と思ってしまいます。正直ここでべき論を語ることのメリットが全く感じられないんですよね。少なくとも自分がもし祢音の立場だったら、こんなこと言われても愛されていなかった過去の事実突きつけられるだけで嫌ですし。

 

また和解直後のベロバとの対決についても、袮音を自分が創世の力で作られた存在であることをバラされたという点で因縁のあるベロバと対決させるのは分かる。だけど、ギャーゴ(光聖)のIDコアがナーゴのIDコアに変化したのはご都合主義すぎて個人的には好きじゃないです。

英寿曰く、英寿の創世の力+鞍馬親子の願いで実現できたという話でしたが、「人々の強い願いが集まったとき、ギーツの創世の力が発動する」というのは今回のエンドカードで初めて出てきた後付けルールだし、祢音はそれを知り得なかったのになぜ自信満々でベロバの元へ行ったのかも謎。

創世の力があるからもはやデザグラのルールはあって無いようなものだし、発生した問題の解決方法がほぼ創世の力頼りなので面白みを感じない。

 

 

さいごに

 割と他のキャラについていろいろ言ってきましたが、英寿も英寿で全ての人間が幸せになれる世界を叶えたいと言っているのにそれを叶えるための積極的行動を起こしていないのはちょっとどうかと思うんですよね。

次回はダパーンが再登場するみたいですが、これに関しては正直だから何感しかなくてなあ…