ちらしのうらのせかい

特撮のことから日常のあれこれまで、気ままに綴っていきます

仮面ライダーギーツ 30話「慟哭VI:手紙の中の王子様」感想

前回分はこちら。

chirashinoura-world.hatenablog.com

 

祢音パパの願いの理由

 今回でなぜ祢音パパが「私が理想とする娘・祢音が生きている世界」を願ったのか説明したような雰囲気を出していましたが、正直全く理解できませんでした。
「幸せの価値観は人それぞれだ。私の娘は誘拐事件のあのときに死んだんだ。私の愛とともに。」
という祢音パパの台詞。
そしてニラムからあかりちゃんを蘇らせることも可能かつ必要ならばその記憶を消すとまで言われている。
この前提から考えると、あかりちゃんを蘇らせることを願うか、あかりちゃんの死を受け入れて何も願わないのどちらかじゃないと筋が通らないんですよ。
「つくられた娘など愛せるはずがない」
これはまあ分かる。でもその直後に
「そうだ、全てを作り変えればいいんだ。鞍馬財閥のために、新しい理想の娘を。」となったのは意味不明。なぜ娘の話から急に鞍馬財閥繁栄の話にすり変わっているのかが全然見えてこない。
もし鞍馬財閥繁栄を最優先するのだとしたらそれをそのまま願えば良い話で、理想の娘云々と願う必要は全くない。
これなら元々鞍馬家に後継ぎができなかったから祢音という存在を願ったという方が納得できる。

 

道長の離反と願い

 今までは全ての仮面ライダーをぶっ潰す力を求めていた道長が、今回英寿との会話の中で「全ての仮面ライダーとともにデザイアグランプリを潰す」と宣言していました。
デザイアグランプリを潰すという要素は急に生えてきたようにしか見えないんですけど、こんな見せ方するくらいなら最初からデザイアグランプリを潰すという願いで良かったのでは?(そもそもそんな願いをデザイアグランプリ運営が通すとは思えないけど、台詞の中で言わせることは可能だったはず)
以前にも言っている話ではありますが、道長がデザイアグランプリに出る意志を持ったきっかけは透が他の仮面ライダー(=デザイアグランプリ参加者)に殺されたことにある訳で、それがきっかけならば願いは「透を蘇らせたい」になるのが自然。あるいは透を死に追いやった2人に制裁を加える類いのものか。
全ての仮面ライダーをぶっ潰したいというのは逆恨みでしかないので、メインキャラの中でも一番願いに共感できませんでした。
そう考えると、このタイミングまでデザイアグランプリを潰すことが真の目的であるという要素を出さなかったのは非常にもったいない。

 

キューンと祢音の共闘

 祢音とキューンが共闘するくだりでも、いくつか理解できない箇所がありました。
まず1つ目に、なぜキューンは闘技場に入れるようになっていたのか。確かに道長が「オーディエンス以外は中には入れない」とは言っていたのでオーディエンスが闘技場に入れるという説明はされていたけど、なぜそうなるのかが分からない。
なんかキューンと祢音を共闘させるシチュエーションを作るためにこういう設定を配置しましたというのが透けて見えてしまっている。

2つ目に、祢音が古代魚ジャマトに殺されかかっているところをキューンが間一髪で助けた直後、いきなり手紙を取り出して読み始めるのが理解できませんでした。
レーザーレイズライザーで一時的に閉じ込めてるとはいえ、古代魚ジャマトとボロボロの祢音が近くにいる状況で手紙読み始めるのはあまりに呑気すぎる。
どうしても手紙のシーン入れたいなら、決闘前にすべきだった。手紙読む→大事なところ(手紙じゃない自分の言葉)言う直前に祢音が古代魚ジャマトに連れ去られる→決闘で祢音ピンチ→キューンが助けて大事なところを祢音に伝えて共闘、だったらまだ違和感ないと思うんですけどね。

3つ目に「君が教えてくれたんだ!幸せかどうかを決めるのは、生まれた境遇じゃない。決めるのは自分自身なんだ。」
と言っていたくだりについて、そんなこと教える(示唆する)描写ありましたっけ?俺が見落としてるだけなのか…?

そして4つ目に、結局祢音とキューンの共闘で古代魚ジャマトを倒したのに、引き分け扱いになってるのも意味が分かりませんでした。勝敗判定適当すぎない?

 

何様目線なチラミ

 祢音が苦しむ姿を見ていられないと言うツムリにチラミが「目を背けちゃダメ。参加者の理想を見守る努めが、ナビゲーターのあんたにはあるんだから」と偉そうに言ってましたけど、数々の失態を重ねてきてるあんたがどの面下げてその言葉言ってるんだとしか思えないんですよねこれ…本当に失態なのかベロバと通じて意図的にやってるのかは知らんけど。

 

さいごに

 今回も個人的に消化不良感が強い回でした。ラストでミツメ=創世の女神であることが明かされて、ジャマトグランプリも次で最終戦ということなので、やっと慟哭編も終わりが見えてきたことには少しホッとしています。

とはいえこの4ヶ月くらいはキツネ狩りではデザグラ中止になり、デザスター探しはうやむやになり、闘牛ゲームは引き分けになり、と肩透かしを食らわされることが多かったので、そろそろそういう逃げの展開連発するのはやめてほしいです。