ちらしのうらのせかい

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仮面ライダーゼロワンのこの一年を振り返って

 2020年8月30日(日)、仮面ライダーゼロワン最終話が放映された。結論から言うと、ストーリーやキャラの描き方といった「話のつくり」の部分以外は満足できた作品だった。裏を返すと、作品の根幹部分が致命的欠陥となっている作品ともいえる。デザインやアクション、キャスト、音楽については何の文句もない。

では「話のつくり」で満足できなかったのはなぜなのか、整理していきたい。

 

ストーリー展開

 ゼロワン全45話(総集編、35.5話除く)の構成としては 以下の構成となっている。

  • 第1話~第16話:滅亡迅雷.net編
  • 第17話~第29話:お仕事5番勝負編
  • 第30話~第35話:飛電製作所編
  • 第36話~第45話(最終話):アーク編

最初の滅亡迅雷.net編についてはそこまで大きな不満はない。むしろこの頃はストーリーをとても楽しむことができていた。特に第8・9話のDr.オミゴト回、第12・13話のワズ回は諫のヒューマギアに対する認識に変化が出始めたり、ワズがイズに或人のバディとしての自分を再認識させゼロワンパワーアップイベントと上手く絡めたりとゼロワン全体でも好きな回である。

不満としては、第15話でイズが迅を煽るためにわざわざ前線に出てきて、そのまま迅に壊されかけるシーンは正直どうかと思ったが、ここまで全体的に出来が良かったためこの時点では少し演出ミスったのかなくらいにしか思っていなかった。

 

続く第17話から始まったのが、ゼロワンを語る上でよく槍玉に挙げられるお仕事5番勝負編である。この章の酷い点としては具体的に、

  • 1つの勝負に2話、それを5戦分費やすという非常に間延びした展開になっている。(その上3戦目と4戦目の間には婚活回と迅復活回あり)
  • 計13話も費やしておきながらキャラの掘り下げがほとんどない。
  • ヒューマギアは人間の悪意に反応し自ら暴走する危険性があることが判明するも、顧客に特に説明することもなくヒューマギアの販売を続ける。
  • 5番勝負で明らかに不正があっても勝負を中止にしなかったり、不正の証拠を諫が入手しそれを狙う垓と戦ったとき或人はずっと棒立ちだったりなど、垓(サウザー)を活躍させるために他の登場人物に不可解な行動をとらせている。(登場人物が不可解な行動を取るのはこの章に限らないが)
  • 垓の下で悪事に加担させられ、バルキリーに変身することもほとんどなく唯阿の扱いが酷い。

などといった点が挙げられる。困ったことに大森Pはお仕事5番勝負で視聴率が上がったと喜んでおり(上がったと言っても小数点1位レベルであり、ここ数年の作品と比較しても大差ない)、この章を失敗だと思っていないようである。(TTFCの『東映プロデューサーチームスペシャル座談会』参照)

 

次に飛電製作所編。お仕事5番勝負編で溜まったヘイトを発散させるという意味では良い部分はあったものの、垓が毎回やられては捨て台詞を吐いて撤退し、それを或人たちが棒立ちで見送るというシュールな構図になっていたのが何とも言えなかった。

 

そしてコロナ休止期間を挟んで始まったのがアーク編。

ゼロワンを制作する上で、コロナウイルス感染拡大に伴う撮影休止が大きな影響を与えたのは言うまでもない。ゼロツーの登場回数が少なくなってしまったり夏映画のストーリーや公開時期が大幅に変更されたのはその最たる例だろう。

だがしかし、ゼロワン本編のシナリオが酷いのはコロナによるものではほぼないと言える。なぜなら、コロナ前に既に39話までの脚本は完成していたのである(TTFCの『東映プロデューサーチームスペシャル座談会』参照)。個人的にゼロワンに感じている不満点はほとんどがこれより前のものであるため、この点においてコロナを引き合いに出すのはただの言い訳にしか見えない。

大森Pがプロデューサー座談会内で「コロナで回数が減らなければもっとそれぞれのキャラを丁寧に掘り下げられた」という趣旨の発言をしてるのを見たときは目を疑ってしまった。第39話まで全然キャラの掘り下げできないのに今更そんなこと言っても手遅れじゃないかと。キャラの掘り下げができてないからこそアイちゃんというデウス・エクス・マキナを出して諸々の人間関係問題を解決させてるんでしょうに。

第36~第39話で起きた大きなイベントとしては迅と唯阿によるアーク復活、垓の味方化が挙げられるが、いずれも説得力に欠ける描写ばかりで疑問符が脳内を駆け巡った。(詳細は各キャラの掘り下げの項にて)

一方で、第40話以降に関してはコロナによっていつが最終回となるか分からないとのことだった(TTFCの『東映プロデューサーチームスペシャル座談会』参照)ので、ある程度話が雑な部分はあっても仕方ないとは思う。それを踏まえると、第40〜第45話でアークゼロを倒し、滅によってイズが破壊され、或人が闇堕ちし、其雄の言葉を受けて滅との決着をつけるところまで描き切ったのは評価すべき点であり、1話ごとの密度も濃いものであった。

 とはいえ、イズが破壊されるときに上記で述べた15話と似たような行動をとっていたり、イズを破壊された或人と迅を破壊された滅の対立構造がそのまま人間vsヒューマギアの全面戦争になるとか言っていたりするのには違和感を覚えた。特に後者は、お互い別に両種族の代表という訳でもないし個人間の争いを種族同士の争いに勝手に置き換えるのはよく分からない。

また、最終的に「自分の意思で暴走するヒューマギアをどう対処していくのか」という問いに対する答えを示さずに終わってしまったのも残念なポイントだった。

 

さて、ここまで順を追ってストーリーを振り返ってきたが、ゼロワンのストーリーは総じて以下のような傾向が見られる。

  • 逆張りが多く、王道を避ければ面白いと勘違いしているように見える。
  • お仕事紹介、コラボに対する固執(優先順位が見えてない)
  • 風呂敷を広げるだけ広げるが、ろくに拾わない(例:プログライズキーとゼツメライズキーの違い、ゼロワン計画とは何かなど)
  • 社会のヒューマギアへの依存度が不明(垓に飛電が乗っ取られてヒューマギアが全廃棄になったときは一部のユーザ以外特に支障なさそうだったのに、アークの攻撃でインフラが崩壊して一斉再起動したら民族間戦争レベルに拡大してしまっている)
  • 変身解除したら攻撃を止めて棒立ち
  • キャラ同士の繋がりが希薄
  • 悪事を行った者に対する処遇が甘すぎる(天津垓、滅、由藤議員など)

 

特定の1話だけを単発ドラマとしてみると一見よくできている風に見える。しかし、連続ドラマとして見ると全く噛み合っていない。点と点が線で結ばれておらず、ただただ点がばらまかれているだけで、話が進むと急に新しい点だけが発生する。そこになぜそうなるのかの説明やそうなっても自然であるような過程・土台づくりがなされていない。だから違和感がすごいし、本来燃えるようなシーンでも燃えることができない。

なんかこう、1年ものの物語を作ろうとする意識が薄いんだろうなっていうのがストーリーを作っている人たちに感じる率直な印象かもしれない。

 

ヒューマギアに対する扱い

 ゼロワンを見ていてモヤッとしたことの1つとして、この作品でヒューマギアをどういう扱いにしたかったのかイマイチ分からなかった、というのがある。

まず、ヒューマギアは人工知能搭載人型ロボであり、飛電インテリジェンスはヒューマギアを商品として顧客にリース契約という形で販売している。そういう意味でヒューマギアは道具なのである。

一方でヒューマギアにはシンギュラリティという設定がある。ここで言うシンギュラリティとは現実のAI業界でいうそれとは別の意味を持ち、「自我を持つ存在となること」と定義される。

 

もしヒューマギアを人間と同等の心ある存在として扱うのであれば、ヒューマギア本人の意思の尊重や労働の対価の提供といったようなものが必要になってくるし、飛電インテリジェンスのやっていることは人身売買とも捉えられかねない。ヒューマギアを購入した顧客はヒューマギアに賃金を払ったり、ヒューマギアの意思によってはヒューマギアを顧客の元から解放しなければならないのだろうか。

逆に完全に道具として扱った場合、シンギュラリティに到達したヒューマギアは人間に不当な扱いを受けたと反乱を起こすかもしれない。そうなれば飛電インテリジェンスの信用問題にかかわる。

そういった線引きの難しさがヒューマギアにはある。だからこそ、シンギュラリティに達したヒューマギアと人間はどう付き合っていくのかゼロワンなりの回答を示して欲しかったのだが、その辺りの話が有耶無耶にされてしまい(令ジェネでウィルに対価について問われたときもそう)、そのまま最終回を迎えてしまったのが実に残念である。

また飛電インテリジェンスという会社についても、人間の社員が福添さんと山下さんみたいな役員しか描かれなかったので、もっと飛電の現場レベルの社員との絡みも描いて欲しかったなというのが正直なところ。

 

 

キャラの掘り下げ

飛電或人

 単刀直入に言って、或人は成長が見られないキャラだなと思った。元々夢への情熱は人一倍ある一方現実が見えていない未熟なキャラとして描かれているからこそ、本来そこからの成長を描いていかなければならないはず。なのに、1年経って何が変わったかと言われてもパッと思い浮かばないのが実情。

例えば、或人はヒューマギアに対して人間と同等の見方をしており、「人とヒューマギアの笑いあえる世界」を目指している。しかしそれは、ヒューマギアが人間に好意的であり、人間のために働くことがヒューマギアの望みであることが前提で語られている。

本編の中で滅亡迅雷.netやチェケラ、アークのような存在を目の当たりにしたことで普通ならそのような考えにも大なり小なり変化が出てくるはずだが一向に変わらない。変わらないどころか、デイブレイクを引き起こしたテロリストであるはずの滅に「うちに来ないか」と言ったり、「ヒューマギアの死は人間の死と同じだ」と言っていたのにもかかわらず最終回では新イズにイズという名前をつけて元のイズに戻そうとラーニングさせようとしている。前者に関してはただのヤバいやつだし、後者に関しては見事なまでのダブルスタンダードである。これじゃ声優ヒューマギア回の多澤さんとやってることはほぼ同じだし、新イズ自身の人格を否定していることになる。

もっとこう、他のキャラとの関わりを通じて成長が見える描写が欲しかったキャラである。

 

イズ

 彼女について一番気になったのはシンギュラリティに至ったタイミングである。本編では第30話で初めてシンギュラリティに到達した、とされていたがそれ以前にも或人のギャグシーンをはじめシンギュラリティに既に到達しているだろと思わせるような描写はいくつもあった。このため、そのシンギュラリティの到達基準や、到達前と後の差が見えなかったのが非常にもったいない。

あとはストーリーの項でも述べたが15話と42話でそれぞれ迅と滅に対してとった行動が不可解だったり、ゼロツープログライズキーを生み出した際にセントラルメモリーはイズの体から抜けてゼロツープログライズキーに変化しているはずなのにイズが何事もなかったかのように機能していたりしているのも設定や描写の杜撰さを感じた。

 

不破諫

 ゼロワンキャラの中では珍しく比較的掘り下げがあった諫。物語開始当初、デイブレイクのときにヒューマギアに襲われた経験からヒューマギアに対し憎しみを持っていた諫は「ヒューマギアは夢のマシンだ」と語る或人とは対照的な立ち位置だった。

しかしDr.オミゴトに命を救われたことで、ヒューマギアへの意識が徐々に変わり始め、お仕事5番勝負編では滅から「ヒューマギアが自らの意思で暴走している」と聞かされ悩む或人に助言するあたりにもその変化が表れている。

また、レイダーの謎に迫ったりその中で亡との関係が掘り下げられたり、垓による亡の人格を利用した洗脳を振り切ってランペイジバルカンへ変身し垓を倒したりと或人以上に主人公感のある活躍が描かれたのはとても熱かった。

それだけに、制作側がそれを知ってか知らずか、諫の記憶が偽りのものだったという設定にしたのはすごくもったいない。コロナ休止明け以降オルトロスバルカン登場まで目立った活躍の場がなかったのも主役を食ってしまうことを危惧した結果なのだろうか。

 

刃唯阿

 個人的にこの作品で一番酷い扱いを受けたのは彼女だと思っている。最初はA.I.M.S技術顧問として登場し、滅亡迅雷.net編では変身前も変身後もそれなりに活躍の場があった。諫が滅に重傷を負わされたときに病院のヒューマギアを再起動するよう或人に説得するシーンなんかは、一見冷酷そうに見えて熱い一面が見られて良かった。

ところが、お仕事5番勝負編で立ち位置がガラッと変わりZAIAに出向復帰して垓の補佐的な立ち位置(正式には社長直轄開発担当)となる。そこでの唯阿は、垓がアークに悪意をラーニングさせた、つまり間接的にデイブレイクや滅亡迅雷.net出現の原因を作ったことを出向復帰直後に知ったのもあってか、まるで自分の心や意思を押し殺して働くブラック企業社員のような状態であった。

唯阿を演じる井桁さん自身もこの頃の役作りに悩んでいたようで、このようなキャラの扱いを見てしまうと「なんでこんなことしてるんだろう?この人は」と思ってしまうのも無理もない。

女優・井桁弘恵、女性ライダーに没頭した1年間で何が変わった? | 日刊SPA! | ページ 2nikkan-spa.jp

それと同時にバルキリーに変身する機会は激減、28話からはファイティングジャッカルレイダーに変身するようになりもはや女性初のレギュラーライダーという立ち位置はなんだったのかというような状態。33話で垓から離反するときに再びバルキリーへ変身するものの、それ以降新フォームが出ることもなく最終回を迎えてしまった。せめてジャッカルのキーで変身するバルキリーとかできなかったのか。

また飛電製作所編以降は、33話で垓からの離反時に技術者としての信念を語るシーンや、38話で部下からA.I.M.Sの隊長に戻ってほしいと信頼を寄せられているシーンといった熱いシチュエーションのシーンがあったが、それに至る過程となる描写が全くないのでイマイチ説得力がない。

どうせお仕事5番勝負をやるのなら、こういうシーンに説得力を持たせる、唯阿の技術者としてのプライドやA.I.M.S隊員への気遣いが分かるような描写を入れて欲しかった。

 

天津垓

 このキャラは制作側がどう扱いたいのかイマイチ見えてこなかった。悪役として通すのなら改心して味方化イベントはいらないし、途中で味方化させるのであればアークに悪意をラーニングさせた全ての元凶という設定は明らかに邪魔でしかないし、数々の不正とその証拠隠滅、パワハラ行為をするようなキャラにすべきではない。このような設定にしてしまったが故に、改心回は歪さが際立つ。

これまで誰の聞く耳も持たなかった垓がポッと出のアイちゃんに諭され、さうざーによって幼少期の自分を思い出し改心するという流れだが、確かに幼少期に父からの躾によって歪んでしまったのは事実ではあるものの、これまでやってきたことは謝罪でチャラになるようなレベルではないのもまた事実。

最終的にサウザー課に左遷させることで禊みたいになってるのも納得いかないし、さうざーに対する親バカっぽい描写を見せることでギャグキャラっぽく見せようとしてるのがまた何とも違和感を覚える。なんかエグゼイドの黎斗のようなキャラを目指そうとして失敗した感がすごい。

結局aiboとのコラボありきで無理やりこじつけた感が否めず、これなら味方化せずそのまま敵として終わった方が納得できた。 

 

 終盤までずっとアークの意志にのみ従って動いてきたキャラというのが率直な印象。

第35話の或人の言葉や、迅自身にも迅を庇った真意を問われたこと、またアークゼロがヒューマギアを見限ったことも合わさって第41話でついに自分の意志として「ヒューマギアの繁栄、そして人類滅亡」という夢を掲げる。

安易に味方化しなかったところは個人的に好きなポイントではあったのだが、最終的に無罪放免同然になっているのを見ると、デイブレイクで犠牲になった桜井工場長が浮かばれないなと思ってしまう。

 

 第32話の諫との絡みは良かったのだが、諫の体から解放された後の扱いが何ともパッとしない印象。せっかく仮面ライダー亡に変身したのに、戦果が垓をパンツ一丁にしただけってあまりに酷い。。。滅亡迅雷.netがライダー姿で揃う(実際はうち一人が乗っ取られてアークゼロになっているが)ためだけに変身させられたのだろうか。

 

 滅亡迅雷.net編の迅は無邪気な印象が強く、その感情の変化はよく描かれていた。声優ヒューマギア回で或人の言葉と滅の言葉の矛盾に苦しみ、セイネを逃がそうとしたところを滅にフォースライザーを装着されたことで自我が一部リセットされる。その後は暗殺ちゃんとの絡みによる喜怒哀楽の表現、そして滅が迅の身代わりとなることでシンギュラリティに到達し覚醒する。

与多垣による復活後は第三勢力のような感じで「ヒューマギアを人間からの解放し自由を与える」という目的を掲げ再登場したものの、結局ほとんどの謎が分からないまま物語が終わってしまった。

なぜ記憶が維持できているのか、そもそもザイア本社がどうやって修復したのか、元々何目的のヒューマギアだったのか、なぜ与多垣と協力したのか、なぜ湖底のアークを狙わず唯阿と組んでアークを降臨させたのか、「無駄だよ、アークの場所が分かったところで、手は出せないよ。人類の想像を遥かに超える速度で進化しているからね」とはなんだったのか、なぜ滅をアークの器として犠牲にしようとしたのか...挙げるときりがない。

特に唯阿と組んでアークを降臨させた件については、100歩譲って仮に湖底のアークに手を出すことができなかったとしても、人類の想像を遥かに超える速度で進化していると言っていたアークに対して戦力的には一番期待し難い唯阿と組んで何で倒せると思ったんだろうか。

せっかく迅を復活させるならもっとこの辺りをちゃんと描写して欲しかったところである。

 第14話で初登場したときは自分の意志で行動しているつもりが無自覚なままスパイとして利用され、仮面ライダー雷として変身させられた挙げ句、アサルトウルフとの戦闘で即退場してしまった雷。

そして第35話で復活した後も或人をおびき出すためにアークによって再び無自覚なまま利用される。二度に渡りこのような扱いを受ける雷には正直同情してしまうが、操られてたとはいえ、何事もなかったかのように味方に戻ってるのはさすがに腑に落ちない。せめてもうちょっと昴との描写を掘り下げるとかやり方はあったんじゃないかというのが正直なところ。

 

最後に

 繰り返しになるが、ここまでシナリオ面についていろいろ述べてきたものの、デザインやアクション、キャスト、音楽には本当に恵まれている作品だと本当に思うし、ファイナルステージも楽しみにしている。

これまでのインタビュー記事や公式サイトでのコメントを見ていると、大森Pは一度特撮以外のドラマに行って自分のやりたいようにやってみた方が良いんじゃないかなと思う。割と本気で。

 

 

仮面ライダーゼロワン Blu-ray COLLECTION 3<完>