ちらしのうらのせかい

特撮のことから日常のあれこれまで、気ままに綴っていきます

仮面ライダージオウを見終えて思うこと

2019年8月25日、仮面ライダージオウの最終回が放送され平成ライダーの歴史に幕が閉じました。 

この1年間ジオウを見てきて良くも悪くもいろいろ思うところはあるので、ここで整理したいと思います。

 

数々のレジェンドキャストたちの客演

ジオウという作品を振り返ったときに、やはりこの話題は外せません。

同じ記念作品のディケイドはリ・イマジネーションという考え方で過去9作の平成ライダーの登場人物は基本的にオリジナル版とは別世界の人物として描かれており、オリジナル版のキャストが出てくるのは少数派でした。

一方でジオウに登場する平成ライダーの登場人物は基本的にはオリジナル版と同一人物であり、オリジナル版のキャストが数多く出演されました。

W推しの私としては『平成ジェネレーションズFOREVER』を見に行って複雑な気持ちで帰ってきたのは未だに忘れられないのですが、事前に発表されるレジェンドキャストはもちろん、本編の次回予告で初めて明かされるレジェンドキャストに何度も驚かされてきたのも事実であり、(本編での扱いはさておき)レジェンドキャスト出演については良かった点が多かったと感じています。

 

最終回『2019:アポカリプス』-物語としての仮面ライダージオウ

今度はジオウという1物語としてのお話。

「え、これで終わり?」

最終回を見終わって率直に感じたのはこれでした。消化不良。ダイジェストを見ているような感覚が近いかもしれません。

 

ジオウの公式サイトの先週更新分には伏線回収について予め懺悔する旨の内容が書いてあります。(長いので下記ページ参照)

https://www.kamen-rider-official.com/collections/20/49

細かいネタの回収なら上記ページに書いてある通り放送後に補完すれば良いと思うのですが、削るにも限度があります。

肝心なところが抜けたら登場人物への感情移入できませんしカタルシスもへったくれもありません。

例えば、

・そもそもオーマジオウは実際には何をしたのか(何が最低最悪で何が最高最善なのか、なぜレジスタンスvsオーマジオウという構図になったのか)

・なぜ最終回でオーマジオウになれたのか

・タイムマジーンやジオウⅡの能力について(好きに過去に行ける、戻せる時点で割とどうとでもなるのでは?と思わせてしまう)

・ライドウォッチの出自

・ミハルとゲイツツクヨミとの関係

・ドライブライドウォッチの継承(=夏映画と本編の関係)

・ウール、オーラ、ミハルの退場の雑さ

などなど…思うところはたくさんあります。

特にオーマジオウ周りの話が明確になっていない中で話を進められても、盛り上がろうにも盛り上がれません。

最終的に世界リセット(再構築)というのも去年見たような展開ですし、なんというかレジェンド客演に重きを置きすぎて本筋が疎かになっているというのがジオウの物語に対しての印象です。

 

「時空の歪み」というマジックワード

あとジオウを見ていて気になったのが物語が進むにつれて幾度となく出てきたこの言葉。直近だとライドウォッチが破壊された原因も時空の歪みのせいじゃないかと言われてましたね。

最初はライドウォッチとアナザーライダー、オリジナルのライダーの存在について設定を説明して「ちゃんと作り込んだ物語やりますよ」感を出していただけに、余計に考察するだけ無駄という印象が強く残りました。

これ言っちゃったらもう後出しジャンケンのオンパレードじゃないですか…

メタ視点盛り盛りの劇場版もそうですが、お祭り作品なら無駄に話を複雑にせず最初から完全にそういう方向で突っ走って欲しかったのが正直なところです。

 

最後に

私は一時期(仮面ライダーだと剣~キバの期間)特撮番組から離れていて、再び特撮番組を見るようになったきっかけはディケイドでした。ディケイドのストーリーに関しては、最終回の終わり方や映画の嘘予告含め良い作品だったとは思ってません。しかしながら、ディケイドを見始めたことで他の作品を見て再び特撮番組が好きになったことは事実であり、お祭り作品としてのディケイドやキャラクターは好きです。

そして自分にとってディケイドがそうだったように、ジオウをきっかけに他の平成ライダーを見るようになった方もいると思うので、そういう意味では20作記念のお祭り作品としての役割は大きかったのかなと思います。