ちらしのうらのせかい

特撮のことから日常のあれこれまで、気ままに綴っていきます

仮面ライダーセイバーという作品を振り返って

 ついに仮面ライダーセイバーの放送が終了したということで、昨年のゼロワンに引き続き今年もセイバー全体の振り返りをしていきます。

結論から言うと、個人的にセイバーには終始ハマれない1年でした。毎週の感想でも気になった点を書いてきましたが、それも踏まえて改めてセイバーという作品に対して率直に思ったことを整理していきたいと思います。

 

1.不自然な展開や人物描写が多い

 セイバーはストーリー展開や人物描写において首を傾げてしまうところがかなり目立つ印象でした。全部挙げていくときりがないので特に気になったところを取り上げていきます。

(1)場面転換が雑

 編集の仕方なのか分かりませんが序盤は特に場面転換が雑でした。例えば、

  • 第2章:飛羽真と芽依がブレイズの戦いに感激するシーンから一瞬メギド側のアジトのシーンが映った後いきなり飛羽真が避難誘導→変身するシーンになっていたり、芽依が倒れてブレイズが「大丈夫、息はあります。連れて戻りましょう」と言った後連れて帰る描写がなくすぐソードオブロゴスでのソフィアとの会話シーンになっていたりしている。
  • 第5章:倫太郎と芽依が異変の始まりに現れる虹色の泡の調査に行く次の登場シーンでは急にガラポンを回してたり、その後の登場シーンでは急にずぶ濡れになっていたりしている。
  • 第6章:前回の最後は倫太郎と芽依がズオスとデザストに遭遇し襲われるところで終わっていたのに、今回の倫太郎と芽依のシーンはなぜか逃げるズオスを追っているシーンからになっており、倫太郎も芽依も服装が変わっている。さらに、前回の最後はデザストも一緒にいたはずなのになぜか消えている。

といった感じ。視聴者に世界観やキャラを覚えてもらう段階でこういう雑な場面転換をしていると、視聴者を置いてけぼりにする一方なんですよね。。。

 

(2)早すぎる絆展開

 第8章では、キングオブアーサーの力を引き出すことばかり考えていた飛羽真が、仲間という信頼できる力を既に持っていたことに気づきシナリオを書いて(作戦を立てて)
ソードオブロゴス3人と連携してメデューサメギドを倒すという流れがありました。
そもそもこの絆展開をやること自体時期尚早だと思いますし、100歩譲って倫太郎や賢人とこの展開をやるのはそこそこ関係性ができていたり幼馴染だったりしたからまだ分からないでもないんですけど、蓮はそんな仲良くなる描写がなかったのにあそこに参加してるのすごく違和感があったんですよね。ただ淡々とイベントを消化しているだけなんだなっていうのを露骨に感じてしまう。

 

(3)学習能力のない賢人

 第13章では、この前の回で賢人がカリバーにやられて生死不明状態で終了→ベッドに横たわる賢人→脱走して戦場へっていう流れを描いていましたが、これって前回の倫太郎と全く同じなんですよ。
抜け出してきた結果賢人がやったことって無策でカリバーにまた特攻しに行っただけで何がしたかったのか謎だし、これじゃ賢人が完全に学習能力のない奴みたいに見えてしまう。
この辺りの話だと他にもこの賢人のベッドからの脱走のくだりが本編とスピンオフで違ったり(TTFCで公開中の「東映プロデューサーチームスペシャル座談会」内でも言及されている)、前回最後に意味ありげに賢人のそばにいたタッセルとユーリは傍観してただけっぽくて何しに来たのかよく分からなかったりと雑な箇所が目立ちます。

 

(4)上條がメギドと手を組んだ理由

 上條が出演していた時期は序盤なのもあり出す情報を絞っていたのかもしれません。しかし後々の展開を踏まえて改めて振り返ってみても、隼人を斬ったり自分がカリバーになったのはともかく、メギドに仲間入りした理由だけはさっぱり分からない。
本編中では「力が必要だったからメギドと手を組んだ」という趣旨のことを言っていましたが、「メギドと組む=力を得られる」保証はないし、ましてや人々に危害を加えることに加担していい訳がない。力が必要だという理由ならソードオブロゴスに残った方がまだ建設的でしょ。
上條は視聴者に「間違ってはいたけど、あの状況じゃこういう道を選んでも仕方ないよね」と思わせる理屈がないんですよ。ソードオブロゴスの剣士は信じない癖にメギドは信じちゃうってどういう了見なんだと。

 

(5)あっさり仲間割れする剣士たち

 (2)でも書いたように第8章で絆展開をやっておきながら、玲花に唆されただけであっさり仲違いするソードオブロゴスの面々は理解に苦しみます。この時点での玲花は急に現れたサウザンベースからの使者っていう胡散臭い立場でしかないのに、そんな人の言い分にも負けてしまうくらいの信頼しかない飛羽真人望なさすぎだろ...倫太郎ですら「君も...メギドの仲間に」とか言い出す始末で、あの絆展開はなんだったのか...見てて本当にがっかりしました。
また、そこから再び飛羽真の仲間に戻っていく過程でノルマかのように毎度毎度手合わせと称してチャンバラしだすのも意味が分からなかった。大秦寺に至ってはメギドが出現してるその場でユーリと手合わせしようとするし正気とは思えない。

 

(6)奇跡の超パワー乱用や理屈のぶん投げ

 本当セイバーこれが多すぎるんですよ。ドラゴニックナイト登場回もそんな感じですし、バハトの退場、刃王剣十聖刃の誕生経緯、マスターロゴスの他の剣士の体を操る能力発現、4賢神との戦い、急に大人化するルナ、上條やソフィア、デザストのカリバー・ファルシオンへの変身(聖剣に選ばれた者しか変身できないはず)、最終章のストリウス戦以降の流れ(ユーリの復活含め)もそう。ファンタジー路線であることを言い訳に理屈をほぼほぼぶん投げている。
ピンチになっても「どうせまた奇跡の超パワーで解決するんだろ」と思ってしまうので、緊張感が全くないんですよね。

 

(7)飛羽真の魅力の無さ

 これも致命的ですね。まず小説家設定があるのにその姿がほとんど描かれず、なんならコラボ回や映画(スーパーヒーロー戦記)の方がその設定ちゃんと使ってるくらい。第46章で「俺は...英雄なんかじゃない!ただの小説家だ」という台詞もありますが、小説家かどうかも怪しいレベル。「文豪にして剣豪」って言いたいがためにとってつけたような設定にしか見えない。

また、飛羽真という人物にもこの1年を通しての成長がみられない。何か挫折してそれを乗り越えた訳でもなければ最初から人間的に魅力がある訳でもなく、「約束」や「ルナ」、「物語の結末は俺が決める」といったワードをbotのように連呼するばかりで中身が伴っておらず非常に薄っぺらい。(5)でも述べたように困ったことがあれば何でも奇跡の超パワーで乗り切ってしまう典型的ななろう系主人公。

少なからず演者の文春報道もイメージ低下の一因ではありますが、それを抜きにしても愛着を持つだけの要素がなさすぎるなあと。

 

(8)メギド3幹部の差別化ができていない

 まず外見からして、メギド3幹部は髪色や衣装にこれといって特徴があるわけでもなく似たり寄ったりですごく見分けがつきづらい。

かといって内面的な部分とか行動で3人のキャラが描けているのかというとそういう訳ではなく、ズオスとレジエルは2人とも沸点が低い粗暴なだけ、ストリウスはアジトで「ククク…」って言ってるだけ。マスターロゴス出てからはそもそもこの3人出ない回もあったし。こんなんで人気出る訳ないでしょ。

その上レジエルとズオスはろくにキャラづけもできないままエレメンタルプリミティブドラゴンやタテガミ氷獣戦記の噛ませ犬として退場させられるんだから酷いもんです。

あと結局メギドってどういう存在で何がしたかったん...?メギドが人を襲う、人がメギドにされるっていう悪役としての記号的なもの以上の意味なかったよね。とりあえず設定しました感がすごい。

 

2.肝心なことを本編でやらない

 先程述べたこととも関係してくるんですが、セイバーは肝心なことを全然本編でやらない。本編が重要な内容で詰まっていて載せきれなかったとかではなく、今こんなことやってる場合じゃないだろという内容は本編で尺とってやるのに肝心なところは本編外に飛ばすのだからたちが悪い。
例えばそもそも物語の根幹となるワンダーワールドや全知全能の書、ルナ、ワンダーライドブックや聖剣周りについては本編ではろくに説明されない始末。特にこの回とか本当に酷いですよ。

www.kamen-rider-official.com

「もはや「知らなくても問題ない」とは言い切れないほどの超重要設定についに踏み込み、」って言っちゃってますからね。自覚してんなら本編でやれと。なんでみんながみんな公式サイトを毎回巡回すると思ってるんだか。
制作陣には「テレビ本編を見てちゃんと理解できるものを作る」という考えはないのかな。

 

3.エモさの押し売り

 公式サイトでもやたら乱用されていた「エモい」という言葉。賢人一時退場時にしても、蓮とデザストにしても、フィーチャリングセイバーにしても、カリバーに変身するソフィアにしても結局制作陣だけがエモエモ言ってるだけで、エモいと言っているシーンそれぞれに積み重ねが全然ないのでエモさの欠片もないんですよ。特に蓮とデザストの絡みはその傾向が強い。
まずデザストがなぜ蓮に興味を持ったのか。その描写が本編では描かれずTELASAのスピンオフで描かれている時点でどうかと。本編見てるだけだとなんのこっちゃという状態になってしまうのはいくら何でも説明不足すぎる。
そしてデザストと蓮が行動を共にする目的や理由も不可解。デザストは蓮と行動を共にして何がしたかったのか、急に人を殺すのを止めて蓮につきまとい助言するようになったのにはどういう心境の変化があったのか、実際デザストと蓮は行動を共にして具体的にどんなことをしてきたのか。これらの点を何も描かずに一緒にカップ麺食べてるシーンくらいしかろくにやってこなかったので最後のデザストvs蓮も全然響いてこないんですよ。
それに、そもそもデザストって上條をはじめ先代剣士たちを殺している紛れもない敵なのにそれを「デザさんぽ」という本編外のオフショットが話題になったのをいいことに、まるでオーズのアンクや電王の味方イマジンの一人かのような扱いで良い奴風に見せようとしているのは違和感の塊でしかないです。

結局これまでのライダーがやってきた展開の劣化コピーでしかない、積み重ねのない中身のない展開じゃエモいとは言えないんですよ。

 

4.フォームの扱いの雑さ

 まずソードライバーの変身ギミックについて2点ほど。1つ目に、ソードライバーの一番の特徴って3冊挿せるところだと思ってるんですが、3冊挿しフォームは序盤に少し出たきりでほぼ死に設定、その後はデカいライドブックでスペースを埋めてしまう新フォームの乱発というベルトの特徴全否定はどうなのよっていう。だったら最初から3冊挿せる構造にする必要ないよね。。。
2つ目に、ソードライバー系のライダー全般に言えますが、めっちゃ長いはずの聖剣が変身シーンになった瞬間急に短くなってるのも、ベルトに刺すという構造にしている関係上しょうがないといえばしょうがないけど未だに商品考えるときにおかしいと思わなかったのかと感じる。

次に劇中での扱いの話。
三冊フォームについては上記で述べた通り、キングオブアーサーは言わずもがな、フィーチャリングセイバーも1回のみと使い捨てのフォームの多いこと多いこと。特にクロスセイバーの派生フォームであるクリムゾンセイバーとフィーチャリングセイバーなんてデザイン的にも能力的にもクロスセイバーとの差別化がほぼできていないし、出す意味あったのか甚だ疑問。
それだけにとどまらず、これは先ほども書いた不自然な展開とも関連しますが

  • 第14章:ドラゴニックナイト登場回の次の回で、キングライオン大戦記を活躍させたいがために露骨にドラゴニックナイトを使わない
  • 第22章で全力で来いと言われているにも関わらず、ブレイブドラゴンで挑む飛羽真。
  • 第34章:前々回に初登場したばかりのタテガミ氷獣戦記がファルシオンにボコボコにされる。
  • 第35章:唐突に現れるエモーショナルドラゴン。
  • 第37章:マスターロゴス(ソロモン)と戦うときのカリバーがなぜかジャアクドラゴン
  • 強化フォームであるエックスソードマンより剣形態だったり最光シャドーの状態の方が小回り利くのに頑なにエックスソードマンを使う最光

というように、明らかに違和感を覚えるような扱いが目立つのもモヤるポイント。

 

5.石田監督の悪癖

 セイバーの中でも特に石田監督回だと総じておかしな演出になっていることが多いんですよね。
例えば、
第7章:芽依ちゃんがズオスに殺されそうになってるシーンで、芽依ちゃんにギャグ描写をさせる。
第15章:キングライオン大戦記の変身シーンで芽依ちゃんにギャグ描写を挟み込ませる。
第20章:戦う気がなく棒立ち状態のユーリを芽依が介護変身(パカッ!パタッ!と言いながらまるでおもちゃで遊ぶときのような変身)させたり、ユーリが自転車に変な乗り方しているところ、芽依が爆発に巻き込まれた一連のシーンなどのギャグ描写連発。

第40章:フィーチャリングセイバーがとどめを刺すときの謎の芽依キック。
第41章:あの状況で入れる必要性を全く感じないのに強引にねじ込まれる流しそうめんシーンを入れる。
といった感じで全体的にふざけるべきじゃないところでふざけてたり、やたらとオーバーリアクションや絶叫させる演技が演出が目立ちます。
もうこういう演出止めない限り石田監督には関わってほしくないなというのが正直なところ。

 


とまあここまでいろいろ書いてきましたが、

セイバーは「一見それっぽいことをやっていれば面白いと思える」人向けの作品なんだなって感じました。


もう言えることはただ1つ。

バイス、頑張れ!